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日本プロキャディー協会設立秘話 PART1 立志編

日本プロキャディー協会の設立は2016年に、それまで全く接点のなかった二人が偶然出会ったことに端を発しています。意外な人物が絡む偶然の糸を解きほぐしながら、協会設立に至る経緯をご紹介します。

 

偶然の出会いから生まれた協会設立の契機

 

2019年はゴルフ界にとって、さまざまな話題で賑わった年でした。国内では渋野日向子プロがAIG全英女子オープンで日本人として42年ぶりにメジャー優勝したのをはじめ、海外でもタイガー・ウッズがマスターズを制覇し11年振りのメジャー優勝で復活を遂げるなど、ゴルフファンにとって嬉しい出来事が続いたのです。国内外のゴルフシーンが盛り上りを見せる中、今後の日本ゴルフ界の将来に大きな役割を果たすと期待される団体が設立されました。それが一般社団法人日本プロキャディー協会です。
協会設立の背景と経緯について、理事を務める大井 勲氏のインタビューをもとにお伝えします。

 

大井 勲氏

 

日本のゴルフ人口はバブル期をピークに減少傾向にあったものの、今もなお約560万人*に達していて、世界有数のゴルフ大国であることは間違いありません。それにもかかわらず、トーナメントに欠かせない存在であるプロキャディの待遇や労働条件は、アメリカなど諸外国に比べて低いままでした。その状況に「これではいけない」という想いを持っていたのがプロキャディとして何人ものスター選手の優勝をサポートしてきた現代表理事の森本 真祐氏です。森本氏は、プロキャディを職業として確立させるために団体設立の必要性を痛感していました。しかし、ツアートーナメントは3月から11月下旬まで日本全国で開催されるため、思うように準備に時間をかけられません。森本氏が団体設立を思い立ってから10年が過ぎた2016年、意外な場所で一人の人物と知己を得ます。それは日本プロキャディー協会設立の契機となる、偶然の出会いでした。
*出典:「レジャー白書2022」公益社団法人日本生産性本部発行

 

ゴルフと野球が交差する荒川道場が協会設立の起点に

 

森本氏が出会った人物とは現理事の大井 勲氏でした。しかも、その出会いの場はゴルフコースやクラブハウスではなく、荒川道場という青少年向けの野球教室だったのです。
なぜキャディの森本氏が野球を教える荒川道場に行ったのか?道場の創立者である荒川 博氏は毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)の選手として活躍した後、1962年から1970年にかけて読売ジャイアンツV9時代に打撃コーチを務め、王貞治選手をスランプから救った一本足打法の生みの親として知られていました。バットのスイングはゴルフにも通じると説く荒川氏の教えを請うため、片山晋呉プロなどプロゴルファーも道場に通っていたのです。
当時の森本氏は上田桃子プロの専属帯同プロキャディでした。上田プロがスイング改造のために2016年に荒川道場の門を叩いたことから、道場の代表を務めていた大井氏と一緒に食事をしたり、トーナメント会場で会ったりするうちに親しくなったのです。

森本氏はプロキャディが抱えている問題について大井氏と話すうちに団体設立の支援をお願いしたいと考えるようになりました。野球とゴルフは全く違うスポーツですが、森本氏は道場を運営する大井氏の手腕と大らかで誠実な人柄を高く評価し、信頼できる人物だと感じていました。そして2018年、現副代表理事の清水 重憲氏と2人で大井氏に団体設立への協力を正式に依頼しました。ゴルフは門外漢だからと固辞していた大井氏ですが、二人の熱意に心を動かされて依頼を承諾します。

 

次回、始動編に続く

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